音量、構図、時間、温度、あとは距離とか。
その気持ちよさは、自分一人で完結するものよりも、自分以外の第三者が関わっておさまるとより大きいもので。
しかも「ちょうどいい」ものというのは飽きが来ず、慣れもしないため、いつでも新鮮に気持ちいい。
私は行動の指針としてこの「ちょうどいい」を持って歩く。
果たしてこれはちょうどいいか、ちゃんと気持ちいいかを感じるように気をつける。
このように、個人の主観であり、数値化できない「感覚」を指針とすることにはもちろん危うさもあるが、私にとってはこのくらいが「ちょうどいい」のだと思っている。
ちょうどいい写真がなかった。
なかったか……
返信削除ないんだよ……
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