お越しいただいている皆様へ
4月に引っ越してきたBloggerですが、大家曰く、
「保存容量が足りません。現在、写真の保存容量 1 GB を 100% 使用しています」
とのことでして、この度小さく舌打ちをしつつ出払う運びとなりました。
8ヶ月ばかりの短い間でしたが、お越しいただいたことに感謝するとともに、今後も変わらずお立ち寄りいただけますことを楽しみにしております。
引越し先は
http://nisomaru.wordpress.com/
です。
とねりの庭
にそ丸
2012年12月10日月曜日
2012年11月26日月曜日
とある編集者のひとりごと。
あらためて思う。オレってバカだなぁ、と。
お先しますと職場を後にして、その足で編集部へ入り、また同じくらいの時間仕事と同じ作業をする毎日。
仕事では決して許されない過剰な時間の掛けようも過度な演出も、好きに思う存分できることに幸せを感じる自分がいる。
どんだけ好きなのよ、と。
まったくバカだね。
さ、今夜もまたバカ祭り、はじめますか。
本当に好きなのは動画編集じゃないんだ。
本当に好きなのは、Guff。
お先しますと職場を後にして、その足で編集部へ入り、また同じくらいの時間仕事と同じ作業をする毎日。
仕事では決して許されない過剰な時間の掛けようも過度な演出も、好きに思う存分できることに幸せを感じる自分がいる。
どんだけ好きなのよ、と。
まったくバカだね。
さ、今夜もまたバカ祭り、はじめますか。
本当に好きなのは動画編集じゃないんだ。
本当に好きなのは、Guff。
2012年11月18日日曜日
文化。
今日はとなり町の文化祭を撮影してきた。
文化祭といっても展示モノではなく、ステージ発表モノ。
内容はベンチャーズコピーバンドから歌謡舞踊、郷土芸能まで様々で、およそ3時間のボリューム。
撮影しながら思ったことがある。
演歌界というものの将来は、世間で言われているよりも、それはもうとんでもなく暗いのではないだろうかということ。
以前から言われていることではあるけれど、あらためて考えてみたら、言葉は悪いが、本当にお先真っ暗に思えた次第で。
氷川きよしだジェロだと言っても、今の若者が聴いたり買ったりしているとはとても思えないし、我々がどんどん歳をとっていっても、嗜好が変わるとは思えない。
なんの裏付けもない勝手な想像だが、今50歳の人もほとんど聴いてないんじゃなかろうか。60歳でもあやしい。支持者はそっからさらに上の人たちなのではないか。いや全くの想像だが。
やがて居酒屋の経営者も若くなり、「おでん屋のおばちゃん」だって我々の世代になってゆくだろう。その時に果たして有線で演歌が流れているのだろうか。そんな風景はまったく想像ができないし、好んで通う客もそういないように思う。
果たして来るのだろうか。
歳の近い友人が演歌を聴きだしたり、カラオケで歌うところを目撃する日が。
演歌ゾーンのない紅白も、いずれは。
文化祭といっても展示モノではなく、ステージ発表モノ。
内容はベンチャーズコピーバンドから歌謡舞踊、郷土芸能まで様々で、およそ3時間のボリューム。
撮影しながら思ったことがある。
演歌界というものの将来は、世間で言われているよりも、それはもうとんでもなく暗いのではないだろうかということ。
以前から言われていることではあるけれど、あらためて考えてみたら、言葉は悪いが、本当にお先真っ暗に思えた次第で。
氷川きよしだジェロだと言っても、今の若者が聴いたり買ったりしているとはとても思えないし、我々がどんどん歳をとっていっても、嗜好が変わるとは思えない。
なんの裏付けもない勝手な想像だが、今50歳の人もほとんど聴いてないんじゃなかろうか。60歳でもあやしい。支持者はそっからさらに上の人たちなのではないか。いや全くの想像だが。
やがて居酒屋の経営者も若くなり、「おでん屋のおばちゃん」だって我々の世代になってゆくだろう。その時に果たして有線で演歌が流れているのだろうか。そんな風景はまったく想像ができないし、好んで通う客もそういないように思う。
果たして来るのだろうか。
歳の近い友人が演歌を聴きだしたり、カラオケで歌うところを目撃する日が。
演歌ゾーンのない紅白も、いずれは。
2012年11月17日土曜日
2012年11月15日木曜日
流れ。
今年は仙人峠を経由して遠野へ秋を観に行こうと計画していた。
結局それも叶わないまま11月も折り返しを過ぎ、気がつけば晩秋。
まさに「気がつけば」という表現がぴったりだ。
時間の流れは普遍。
自分が走っていても止まっていても、時間だけは等速で進み続ける。
浅い川の中に立つことを想像する。
下流を見るように、上流に背を向けて川の中に立つ。
前方へと流れて行く足元の水と、立ち止まった自分との相対的な速度は早い。
水の流れに置いてきぼりにされている状態だ。
今度はこの浅い川を下流に向かって走ってみる。水の流れと自分との速度の差は、立ち止まっている時と比べて小さくなり、つまりは相対的にゆっくり流れている状態となる。
しかしこれは自分主観の速度であり、実際の水の流れる速度は変わっていない。あくまでも、体感。
一方、時間の流れはどうだろうか。
日々に「追い立てられ」ているような、いわゆる「走っている時」には、あっという間に時間が過ぎているように感じるものだ。
これは川の流れとは真逆の感覚といえるが、立ち止まっているときに感じる「置いていかれる」ような感覚は川の流れと同等だ。
同じ「流れ」ではあるが、川と時の流れは同じではない。
川は川でしかないが、時は時単体で流れているのではなく、周りの風景も一緒に流す。
日々に追われるということは、時の流れに背中を押されているということ。
言い換えるなら、船。
船と時の流れの速度差が相対的に小さくても、風景を見渡せば自分の速度がいかなるものか解る。
これは、時間が止まらない以上、立ち止まることはできないということでもある。
流れに乗ると感じるか、流されていると感じるか。
どちらにしても、「流れ」を意識しなければ感じることはできない。
「気がつけば」。なるべくなら使いたくないものだ。
結局それも叶わないまま11月も折り返しを過ぎ、気がつけば晩秋。
まさに「気がつけば」という表現がぴったりだ。
時間の流れは普遍。
自分が走っていても止まっていても、時間だけは等速で進み続ける。
浅い川の中に立つことを想像する。
下流を見るように、上流に背を向けて川の中に立つ。
前方へと流れて行く足元の水と、立ち止まった自分との相対的な速度は早い。
水の流れに置いてきぼりにされている状態だ。
今度はこの浅い川を下流に向かって走ってみる。水の流れと自分との速度の差は、立ち止まっている時と比べて小さくなり、つまりは相対的にゆっくり流れている状態となる。
しかしこれは自分主観の速度であり、実際の水の流れる速度は変わっていない。あくまでも、体感。
一方、時間の流れはどうだろうか。
日々に「追い立てられ」ているような、いわゆる「走っている時」には、あっという間に時間が過ぎているように感じるものだ。
これは川の流れとは真逆の感覚といえるが、立ち止まっているときに感じる「置いていかれる」ような感覚は川の流れと同等だ。
同じ「流れ」ではあるが、川と時の流れは同じではない。
川は川でしかないが、時は時単体で流れているのではなく、周りの風景も一緒に流す。
日々に追われるということは、時の流れに背中を押されているということ。
言い換えるなら、船。
船と時の流れの速度差が相対的に小さくても、風景を見渡せば自分の速度がいかなるものか解る。
これは、時間が止まらない以上、立ち止まることはできないということでもある。
流れに乗ると感じるか、流されていると感じるか。
どちらにしても、「流れ」を意識しなければ感じることはできない。
「気がつけば」。なるべくなら使いたくないものだ。
2012年11月4日日曜日
あまり眠くない理由
ほとんど寝ない日々を乗り越え、とうとう締切ギリギリの朝7時に入稿することができた宮古市発のフリーペーパーGuff vol.2の原稿。
それまでの日々がそうだったように、入稿を果たしたその後も当然のことながら仕事だった。
その仕事もきちんとこなし、どのくらいぶりだろう?と思い返しても思い出せないぶりとなる「その日のうちの帰宅」を果たした。
2日ぶりの風呂に入り、これまたどれくらいぶりか忘れてしまった自宅飯を食べながら、ひと月ぶりに呑む熱燗は感動的に旨かった。
腹も膨らみ、こたつにごろりと横になると、いつの間にか眠ってしまった。
ふと目が覚め時計を見ると、まだ22時前。ずいぶんと眠ったような気がしたが、一時間しか経っていなかった。
食べ終わった食器を片づけ、歯を磨きながら原稿は全部揃っていただろうかと気になったが、気にしてもなにもならないことに気づき、考えるのを停止した。
布団に這入り、部屋の照明を落とす。
22時に寝るなんて、数十年ぶりのことだろう。これからもまずないに違いないだろうし。
年季のはいったガラケーをスライドさせ、していなかったメールの返信を済ませる。
facebookをチェックし、いくつかのいいね!と、いくつかのコメントをかいt
まだ目覚ましのケータイアラームは鳴っていないが、目が覚める気配がした。
毎朝世界を呪うことを忘れない自慢の低血圧だが、この日は違った。やはり掛け布団もない固い編集部の床とは違う、柔らかく暖かい布団でのゆっくりした睡眠は格別だったのだろう。いつもの悪い朝ではない感じのまま覚醒できそうだった。しかし目を開けると目が覚めてしまう(低血圧ならでは表現)ので、目は閉じたまま今何時くらいか、今日はどんな作業をすればよかったか、そうだ、もう急ぐべきことは多くないのだ、などと幸せに似た気持ちを噛み締めた。
さて、ぼくはあとどのくらい寝られるだろうか? と一応壁にかけてある時計を薄目でそっと見たら1を過ぎたあたりに短針が居た。
カーテンを見遣ると、そのすき間から漏れている光の色は深夜1時のそれではなかった。これはかの有名な13時だ。
……
慢性低血圧vs大寝坊のカードほどの泥仕合は世界を見渡してもそうないだろう。
バタンバタンと大音を立てながらタンスを開けたり閉めたりしつつ、撮影や取材のような重要な仕事がなかったか、一向に動く気配のない脳みそで慎重に慎重に検証。
ケータイを開くと電源が落ちていた。壁掛けの時計による寝坊ドッキリの可能性に淡い期待を抱きながら充電器をつなぐ。起動するまでの間に服を着つつ、上司への言い訳という名の適度なウソを数パターン制作を試みるも、すべてゴールデンラズベリー賞。起動したケータイを見ると、規律正しい数字で13:18とあった。上司には素直に謝罪することを決定し、会社に連絡を入れた。
そしてぼくは気が楽になった。
今振り返ると、あのfacebook in お布団の最中に寝オチし、そのせいもあってケータイの電池がなくなったのだろうが、重要な仕事がなくて本当によかったと思う。
そして22時から13時までの睡眠すべてが熟睡だったことと、そこに微塵の寝過ぎ感もなかったことにいささか驚いたのであった。
そんな感じのダメおっさんが関わったGuffは、今月11月11日に発行されます。
どうぞご期待ください。
ぼく以外の編集部員はちゃんとした大人です。
それまでの日々がそうだったように、入稿を果たしたその後も当然のことながら仕事だった。
その仕事もきちんとこなし、どのくらいぶりだろう?と思い返しても思い出せないぶりとなる「その日のうちの帰宅」を果たした。
2日ぶりの風呂に入り、これまたどれくらいぶりか忘れてしまった自宅飯を食べながら、ひと月ぶりに呑む熱燗は感動的に旨かった。
腹も膨らみ、こたつにごろりと横になると、いつの間にか眠ってしまった。
ふと目が覚め時計を見ると、まだ22時前。ずいぶんと眠ったような気がしたが、一時間しか経っていなかった。
食べ終わった食器を片づけ、歯を磨きながら原稿は全部揃っていただろうかと気になったが、気にしてもなにもならないことに気づき、考えるのを停止した。
布団に這入り、部屋の照明を落とす。
22時に寝るなんて、数十年ぶりのことだろう。これからもまずないに違いないだろうし。
年季のはいったガラケーをスライドさせ、していなかったメールの返信を済ませる。
facebookをチェックし、いくつかのいいね!と、いくつかのコメントをかいt
まだ目覚ましのケータイアラームは鳴っていないが、目が覚める気配がした。
毎朝世界を呪うことを忘れない自慢の低血圧だが、この日は違った。やはり掛け布団もない固い編集部の床とは違う、柔らかく暖かい布団でのゆっくりした睡眠は格別だったのだろう。いつもの悪い朝ではない感じのまま覚醒できそうだった。しかし目を開けると目が覚めてしまう(低血圧ならでは表現)ので、目は閉じたまま今何時くらいか、今日はどんな作業をすればよかったか、そうだ、もう急ぐべきことは多くないのだ、などと幸せに似た気持ちを噛み締めた。
さて、ぼくはあとどのくらい寝られるだろうか? と一応壁にかけてある時計を薄目でそっと見たら1を過ぎたあたりに短針が居た。
カーテンを見遣ると、そのすき間から漏れている光の色は深夜1時のそれではなかった。これはかの有名な13時だ。
……
慢性低血圧vs大寝坊のカードほどの泥仕合は世界を見渡してもそうないだろう。
バタンバタンと大音を立てながらタンスを開けたり閉めたりしつつ、撮影や取材のような重要な仕事がなかったか、一向に動く気配のない脳みそで慎重に慎重に検証。
ケータイを開くと電源が落ちていた。壁掛けの時計による寝坊ドッキリの可能性に淡い期待を抱きながら充電器をつなぐ。起動するまでの間に服を着つつ、上司への言い訳という名の適度なウソを数パターン制作を試みるも、すべてゴールデンラズベリー賞。起動したケータイを見ると、規律正しい数字で13:18とあった。上司には素直に謝罪することを決定し、会社に連絡を入れた。
そしてぼくは気が楽になった。
今振り返ると、あのfacebook in お布団の最中に寝オチし、そのせいもあってケータイの電池がなくなったのだろうが、重要な仕事がなくて本当によかったと思う。
そして22時から13時までの睡眠すべてが熟睡だったことと、そこに微塵の寝過ぎ感もなかったことにいささか驚いたのであった。
そんな感じのダメおっさんが関わったGuffは、今月11月11日に発行されます。
どうぞご期待ください。
ぼく以外の編集部員はちゃんとした大人です。
2012年10月27日土曜日
HONDA with my SOUL
失ってから気づく。それがどれだけ貴重なものだったかと。
彼のライブを聴くことはさして珍しいことではなかった。
正直いえば、また来たのねくらいに思ったこともある。
真夏の青い空と海をバックに従えた三陸海の博覧会のステージ。
もともと地黒の彼は夏の光を背負ってさらに黒く、ピアノと同化していた。
終わることを知らないような晴天の夏空に溶けてゆくピアノの音。
あの頃に、同じ音色は二度とないことをちゃんと理解していればよかったと今になって悔しく思う。
音のように空へ消えた彼。
しかしその魂は消えていない。
彼のライブを聴くことはさして珍しいことではなかった。
正直いえば、また来たのねくらいに思ったこともある。
真夏の青い空と海をバックに従えた三陸海の博覧会のステージ。
もともと地黒の彼は夏の光を背負ってさらに黒く、ピアノと同化していた。
終わることを知らないような晴天の夏空に溶けてゆくピアノの音。
あの頃に、同じ音色は二度とないことをちゃんと理解していればよかったと今になって悔しく思う。
音のように空へ消えた彼。
しかしその魂は消えていない。
T-shirt:Tamaya Honda
Photo:Ayumi Kudou
Soul:Takehiro Honda
2012年10月15日月曜日
ワレ思う故に
【拭う】ぬぐ・う〔ぬぐふ〕[動ワ五(ハ四)]
1 ふいてきれいにする。「汗を―・う」「涙を―・う」
2 汚点などを除き去る。また、消し去る。「汚名を―・う」「無責任の感を―・いきれない」
─コトバンクより
なんの間違いも勘違いもなく覚えていた言葉「拭う」。
そこにきて改めて思ったんだ。「尻拭い」って、どうよ?って。
だってさ、「尻」を「拭う」んだぜ?
拭うってことはだ、拭うべきナニかが尻にあるってことだろ?
そもそも尻は涙を流さないし、汗っつったってそんな背中やワキほどかく場所じゃないだろ、尻はさ。
じゃあ何を拭うんですか? なにを拭わされるんですか?って話だよ。
ド下ネタじゃねーか。
いいか? その画を想像してごらんなさいって。自分が上司のを、とかさ。
あるか? そんな画、あるか?
ねーよ。どんなプレイだっつの。
信じられるか?21世紀の日本だのに、こんな慣用句が大手を振ってのうのうと道のど真ん中を歩いてんだぜ?海外じゃXXX扱いになってもおかしかねぇんじゃねーの?
「そんな汚い言葉をどこで覚えてきたの? ねぇ、けんちゃん!けんちゃん!!」ってママがけんちゃん(小2)の両手を掴んでおろおろ泣いてもいいぐらいだろ、こんなもん。
なぁおまえら。こんな日本、どうよ?
俺はな、俺ぁな……、大好きです。
よし、旅に出よう。
2012年10月10日水曜日
2012年10月3日水曜日
冬支度
9月の結びを意識した投稿をしないまま10月になりさらに数日が過ぎた。
笑っちゃうくらい忙しいことも十分な睡眠が摂れないことも十数年続けてきただけに慣れっこである。
そんなことを繰り返すうちに体重はじわりじわりと減り続けていて去年から54kg台をウロウロしている。
ベスト兼最高体重が57kgなのでその差はたった3kgはあるが贅肉のない体の3kg減は文字通り「身を削って」いたのであろう。
去る8月の後半から「食べる」ことを意識するように心がけてみた。
高校生の時からの習慣で朝食を食べることはないが一日二食をきっちりと多めに摂ることと間食をすることに努力した。
その甲斐あって体重計は「あぁん?」でも「しーん...」でもなく賛辞の嵐スタンディングオベーションの56kg台。
ダイエットで2kg減ったと言って喜ぶ人の気持がはじめてわかった次第である。
時折しも食欲の秋。
ガリガリくんの冬は寒い。
来る冬に備えて脂肪を蓄えるべく日夜努力を惜しまず食べていく所存なのである。
そんなわけで遅ればせながらさようならでした9月。
どうぞよろしく10月。
省エネのため読点は使用しませんでした。
笑っちゃうくらい忙しいことも十分な睡眠が摂れないことも十数年続けてきただけに慣れっこである。
そんなことを繰り返すうちに体重はじわりじわりと減り続けていて去年から54kg台をウロウロしている。
ベスト兼最高体重が57kgなのでその差はたった3kgはあるが贅肉のない体の3kg減は文字通り「身を削って」いたのであろう。
去る8月の後半から「食べる」ことを意識するように心がけてみた。
高校生の時からの習慣で朝食を食べることはないが一日二食をきっちりと多めに摂ることと間食をすることに努力した。
その甲斐あって体重計は「あぁん?」でも「しーん...」でもなく賛辞の嵐スタンディングオベーションの56kg台。
ダイエットで2kg減ったと言って喜ぶ人の気持がはじめてわかった次第である。
時折しも食欲の秋。
ガリガリくんの冬は寒い。
来る冬に備えて脂肪を蓄えるべく日夜努力を惜しまず食べていく所存なのである。
そんなわけで遅ればせながらさようならでした9月。
どうぞよろしく10月。
省エネのため読点は使用しませんでした。
2012年9月28日金曜日
2012年9月25日火曜日
やっぱりね
みんなスルーしてるのかな。
それともぼくが考えすぎなのか。
おそらく後者だとはおもうけれども、思うところがあったのでしたためます。
「やっぱり」
この言葉があふれすぎだと思うのです。
テレビの街頭インタビューを観てると(聞いてると)必ずと言いたくなるほど出てきます。
スポーツ選手のインタビューでもそう。
ね、そうでしょ?
なに?まだピンときてない?
だいじょーぶ。それも普通です。ぼくはちょっと過敏だからね。
今度からさ、インタビューなんかが放送されたとき、ちょっと気をつけて見るといいよ。
やたらにでてくるから「やっぱり」が。
そしてね、キミが話すときにも、もしくは誰かと会話をするときにも気をつけてみるといい。
ときには「っぱり」って言ったりするけど、本当に多いから「やっぱり」が。
「あー」「えー」「んと」のように使ってるから。
もっと自分の意見に自信を持って話そうよ。
そしたらやっぱりやっぱりは減ると思うんだ。
これに合う画像ってナニよ?
それともぼくが考えすぎなのか。
おそらく後者だとはおもうけれども、思うところがあったのでしたためます。
「やっぱり」
この言葉があふれすぎだと思うのです。
テレビの街頭インタビューを観てると(聞いてると)必ずと言いたくなるほど出てきます。
スポーツ選手のインタビューでもそう。
ね、そうでしょ?
なに?まだピンときてない?
だいじょーぶ。それも普通です。ぼくはちょっと過敏だからね。
今度からさ、インタビューなんかが放送されたとき、ちょっと気をつけて見るといいよ。
やたらにでてくるから「やっぱり」が。
そしてね、キミが話すときにも、もしくは誰かと会話をするときにも気をつけてみるといい。
ときには「っぱり」って言ったりするけど、本当に多いから「やっぱり」が。
「あー」「えー」「んと」のように使ってるから。
もっと自分の意見に自信を持って話そうよ。
そしたらやっぱりやっぱりは減ると思うんだ。
これに合う画像ってナニよ?
2012年9月21日金曜日
先輩。
先日とある業界のパーティに行ってきた。っても仕事でね。
出席者はおよそ200人で、その業界の会長社長などの大先輩ばかり。この方々の会社の年商総合計ってどんだけなんだろかねーなんて下世話な考えが頭をよぎったよ。
さて開宴。
祝辞が始まってほどなくピリリリリリってケータイ着信音。
ったく、開宴前に司会者が言ってたじゃん「携帯電話は電源をお切りになるかマナーモードでー」ってさ。つーか、言われなくてもこういう会場に入ったら自発的にマナーモードにしませんかね。オトナなら。
そしてその音ってばいつまでも鳴り止まない。持ち主気付いていないのか?それとも出るのが恥ずかしいか?「早く止まれ相手切れ相手諦めろ」とか念じてんのか?みんなに迷惑かけてんだから、観念してケータイ取り出せや!という満場の念に押されたようで、一瞬着信音が大きくクリアになった。ポケットから取り出したんだろね。すぐに続いた「ピッピ」という切断の音。
オレはすぐ思ったね。
電源は切りましたか?あなたのような人間の元へはもう一度来ますよ?でもマナーモードにもしてないでしょ。そうですよね、あんだけ鳴らしっぱなしにできる度胸の持ち主ですから、そんな細かいことは気にしないですよね。
そこからたった30秒後でした。NEXTピリリリリリ。
手に持ってたんだろね。今度はすぐに「ピッピ」つった。おそらくここで電源OFFったんだろね。次はなかったから。
事情を知らない相手に怒るタイプだよ。「なんで二度もかけてくるんだ!」つって。バカだから。バカだから。
ご祝辞お二人目のときでございました。会場に名曲が流れたんですね。
曲は「くるみ割り人形」です。どうぞお聞きください。って、コラ。
おい会長さんよ。なに?社長?知らねーよじじい。
さっきのピリリリリ聞いてなかったのか?音の発生場所的に、さっきのバカはあんたのすぐ近くだったんじゃねーか?気づいてたろ?うるせーなーって思ったろ?
「嗚呼そういえば儂もマナーモードにしておらんかったのう」と我が振り直さないか?
どうせ「ありゃ!おれもだwww」だろうけど、どっちにしてもバカだな。
そんなのがあと2件。
もうね……もうね、情けねーよ俺ぁ。
ステージ見てご覧よ。主役の人の子供がいい歌うたってんじゃん。お父さんってば涙うかべてますよ。ね。
そこにきて「やーやーやーやーおめでとうございますー」ってさー。
この歌の最中くらいビール注ぎ風ヘーコラは遠慮しなよ。確かに顔は覚えてもらえるだろうさ。悪い意味でな。
最低限のマナーってもんはあるだろうよ。な?違うか?
立派でいてくれよ。尊敬させたままでいてくれよ。頼みますよ、先輩。
こころ穏やかなれ。
出席者はおよそ200人で、その業界の会長社長などの大先輩ばかり。この方々の会社の年商総合計ってどんだけなんだろかねーなんて下世話な考えが頭をよぎったよ。
さて開宴。
祝辞が始まってほどなくピリリリリリってケータイ着信音。
ったく、開宴前に司会者が言ってたじゃん「携帯電話は電源をお切りになるかマナーモードでー」ってさ。つーか、言われなくてもこういう会場に入ったら自発的にマナーモードにしませんかね。オトナなら。
そしてその音ってばいつまでも鳴り止まない。持ち主気付いていないのか?それとも出るのが恥ずかしいか?「早く止まれ相手切れ相手諦めろ」とか念じてんのか?みんなに迷惑かけてんだから、観念してケータイ取り出せや!という満場の念に押されたようで、一瞬着信音が大きくクリアになった。ポケットから取り出したんだろね。すぐに続いた「ピッピ」という切断の音。
オレはすぐ思ったね。
電源は切りましたか?あなたのような人間の元へはもう一度来ますよ?でもマナーモードにもしてないでしょ。そうですよね、あんだけ鳴らしっぱなしにできる度胸の持ち主ですから、そんな細かいことは気にしないですよね。
そこからたった30秒後でした。NEXTピリリリリリ。
手に持ってたんだろね。今度はすぐに「ピッピ」つった。おそらくここで電源OFFったんだろね。次はなかったから。
事情を知らない相手に怒るタイプだよ。「なんで二度もかけてくるんだ!」つって。バカだから。バカだから。
ご祝辞お二人目のときでございました。会場に名曲が流れたんですね。
曲は「くるみ割り人形」です。どうぞお聞きください。って、コラ。
おい会長さんよ。なに?社長?知らねーよじじい。
さっきのピリリリリ聞いてなかったのか?音の発生場所的に、さっきのバカはあんたのすぐ近くだったんじゃねーか?気づいてたろ?うるせーなーって思ったろ?
「嗚呼そういえば儂もマナーモードにしておらんかったのう」と我が振り直さないか?
どうせ「ありゃ!おれもだwww」だろうけど、どっちにしてもバカだな。
そんなのがあと2件。
もうね……もうね、情けねーよ俺ぁ。
ステージ見てご覧よ。主役の人の子供がいい歌うたってんじゃん。お父さんってば涙うかべてますよ。ね。
そこにきて「やーやーやーやーおめでとうございますー」ってさー。
この歌の最中くらいビール注ぎ風ヘーコラは遠慮しなよ。確かに顔は覚えてもらえるだろうさ。悪い意味でな。
最低限のマナーってもんはあるだろうよ。な?違うか?
立派でいてくれよ。尊敬させたままでいてくれよ。頼みますよ、先輩。
こころ穏やかなれ。
2012年9月17日月曜日
またね。
「まだ夏だ。」「いつまでも終わるな。」「このままでいい。」
前代未聞の残暑にかこつけて、昨日までしつこく言い続けてきた。
それも口ばっかりで、実は参ってんじゃねーの?と言われてもしょうがないほど、我々の理解を越えた酷残暑ではあるが、それでもやっぱり夏が好きだ。
ちなみにこの夏、車のエアコンを入れたのは二度。二回とも客人を乗せた時だけだ。それほどに夏が好きだし、暑いのが好きだ。
2012年9月17日月曜日。
魚屋をのぞくと、さんまが安くなり鮭が並びだしていた。
そして昨日、秋まつりも終わった。
気温の高さは変わっていないが、ぼくの中で何かが変わった。
夏は、終わった。
8月の終わりに感じた夏の終わりの切なさや焦燥感はもう、ない。
だから背筋を伸ばし、笑顔で言える。
さようなら、夏。
秋、好きだぜ! 夏にはナイショだぞー
前代未聞の残暑にかこつけて、昨日までしつこく言い続けてきた。
それも口ばっかりで、実は参ってんじゃねーの?と言われてもしょうがないほど、我々の理解を越えた酷残暑ではあるが、それでもやっぱり夏が好きだ。
ちなみにこの夏、車のエアコンを入れたのは二度。二回とも客人を乗せた時だけだ。それほどに夏が好きだし、暑いのが好きだ。
2012年9月17日月曜日。
魚屋をのぞくと、さんまが安くなり鮭が並びだしていた。
そして昨日、秋まつりも終わった。
気温の高さは変わっていないが、ぼくの中で何かが変わった。
夏は、終わった。
8月の終わりに感じた夏の終わりの切なさや焦燥感はもう、ない。
だから背筋を伸ばし、笑顔で言える。
さようなら、夏。
秋、好きだぜ! 夏にはナイショだぞー
2012年9月15日土曜日
昔話をするようになったらもうおっさんな。
子供の頃の記憶。
地面より高く見える海を見て、どうしてこぼれないのだろうと不思議に思った。
やがて成長し、高く見えているだけで、こぼれることはないことを体感的に憶えた。
大人と呼ばれる年齢になった今、この道に立ち、思った。
なぜ高く見えるのか未だに解んねー。
実は解る気もない。
地面より高く見える海を見て、どうしてこぼれないのだろうと不思議に思った。
やがて成長し、高く見えているだけで、こぼれることはないことを体感的に憶えた。
大人と呼ばれる年齢になった今、この道に立ち、思った。
なぜ高く見えるのか未だに解んねー。
実は解る気もない。
2012年9月14日金曜日
幸福論
ある人が会社にやってきた。昔から知っている五十路の男だ。
男はよく冷えたミニッツメイド一本をぼくにくれた。
その後の会話が興味深いものだったので、その全てをみなさんに披露しようと思う。
男「ごぶさたしておりました。あれ?痩せたんじゃありませんか?」
私「あー、痩せたかもしれませんね」
男「ネス湖にはやっぱりいたそうですよ。ネッシーね。あとは3メートルくらいの亀も」
私「3メートルって、もう恐竜ですね」
男「湖底にはUFOの基地がありますからね。そういえばこないだもUFOにお会いしましたよ、150メートルくらいの。今は誰が乗っているかもわかっているんですよ。先日も、」
私「それにしても今日もまた暑いですね」
男「はい、暑いですね。ということで今日はこのくらいにしておきます。それではさようなら」
私は男が置いていったミニッツメイドを冷蔵庫にしまい自販機からミニッツメイドを買ってきた。
言い忘れていたがこの男、某幸せな団体の者である。
木陰のベンチっていいですね。
男はよく冷えたミニッツメイド一本をぼくにくれた。
その後の会話が興味深いものだったので、その全てをみなさんに披露しようと思う。
男「ごぶさたしておりました。あれ?痩せたんじゃありませんか?」
私「あー、痩せたかもしれませんね」
男「ネス湖にはやっぱりいたそうですよ。ネッシーね。あとは3メートルくらいの亀も」
私「3メートルって、もう恐竜ですね」
男「湖底にはUFOの基地がありますからね。そういえばこないだもUFOにお会いしましたよ、150メートルくらいの。今は誰が乗っているかもわかっているんですよ。先日も、」
私「それにしても今日もまた暑いですね」
男「はい、暑いですね。ということで今日はこのくらいにしておきます。それではさようなら」
私は男が置いていったミニッツメイドを冷蔵庫にしまい自販機からミニッツメイドを買ってきた。
言い忘れていたがこの男、某幸せな団体の者である。
木陰のベンチっていいですね。
2012年9月10日月曜日
くしゃくしゃ
あの日から一年以上経っても日々泣いてた。飽きもしないで。
悲しくて泣くんじゃないんだよなぁ。
あの頃は自分ん中がなんだかわからないものでいっぱいになりがちで、
そのなんだかわからないものを定期的に出しちゃわないと苦しくなんの。
それを外に出す作業が泣くということだったんだと思う。
だからわざと泣くようにしてた。もともと涙もろいから難しくはなかったよ。
本や映画もお世話になったけど、必ずしも期待通りの仕事をしてくれなかったり、そもそもそれらは時間がかかるものなので、今出したい!って時には不向きだった。
良かったのはね、音楽。「泣ける曲」なんてベタに検索すんの。そんですぐ聴くんじゃなくて、まずは歌詞を調べて悲しい内容だったら却下。悲しくなりたいわけじゃないからね。いかにもお涙頂戴ソングも基本的にはダメ。「さあ泣け!」と言われてるようでしらける。そのあたりの線引はビシシッとオレ次第のその時次第だから、みなさんは知らんがなでおk。
ざっくり云えば希望を感じる曲か。希望ってのが未だにはっきりわからないけど、そこはニュアンスで。
だけどね、泣くってのはカロリーを使うもので、結構疲れるのよ。
あー溜まってきたなーって感じて検索を始めて、ちょうどいい曲になかなか出会えなくて、ようやく探し当てて聴こうかなーってところでジャマが入ったりして……。
でようやく見つけて泣いてスッキリはするけどかなり疲れて。
とにかく完了するまでっつったら、まぁめんどくさい。ヘトヘトになる。でも出さないともっとめんどうなことになるからサボるわけにもいかないし。
そんな中で出会ったのが加藤愛-かとうめぐみ-さんの楽曲だった。
自分の気持ちにシンクロする曲がたくさんあって、ムダに検索をすることもなくなった。動画サイトに行って「加藤愛」の動画へ行き、どれかをクリックすれば、はい完了、というお手軽感(加藤さんに失礼な表現)。
その中でもとりわけ同調したのは「くしゃくしゃ」という曲だった。
何度も聴いて何度も泣いた。
そうしているうちに「なんだかわからないもの」が自分の中にたまることが少なくなり、やがてはそれを外に出す作業をすることもなくなった。
一言で云えば、この曲に救われた、のだと思う。
去る9月8日、友人が加藤さんを宮古に呼んでライブを開催した。無論、良かった。
ステージ後の打ち上げで、ライブ本編では演らなかった「くしゃくしゃ」を歌ってくれた。
数カ月ぶりに歌で泣いた。
そのあと笑った。
歌の歌詞と同じだった。
にそ丸「おれね、めぐみさんにありがとう以上の言葉を言いたいけど、なんて言えばいいかわかんないや」
めぐみ「ありがとう以上は『ありがとう』ですよ。こちらこそ『ありがとう』です」
悲しくて泣くんじゃないんだよなぁ。
あの頃は自分ん中がなんだかわからないものでいっぱいになりがちで、
そのなんだかわからないものを定期的に出しちゃわないと苦しくなんの。
それを外に出す作業が泣くということだったんだと思う。
だからわざと泣くようにしてた。もともと涙もろいから難しくはなかったよ。
本や映画もお世話になったけど、必ずしも期待通りの仕事をしてくれなかったり、そもそもそれらは時間がかかるものなので、今出したい!って時には不向きだった。
良かったのはね、音楽。「泣ける曲」なんてベタに検索すんの。そんですぐ聴くんじゃなくて、まずは歌詞を調べて悲しい内容だったら却下。悲しくなりたいわけじゃないからね。いかにもお涙頂戴ソングも基本的にはダメ。「さあ泣け!」と言われてるようでしらける。そのあたりの線引はビシシッとオレ次第のその時次第だから、みなさんは知らんがなでおk。
ざっくり云えば希望を感じる曲か。希望ってのが未だにはっきりわからないけど、そこはニュアンスで。
だけどね、泣くってのはカロリーを使うもので、結構疲れるのよ。
あー溜まってきたなーって感じて検索を始めて、ちょうどいい曲になかなか出会えなくて、ようやく探し当てて聴こうかなーってところでジャマが入ったりして……。
でようやく見つけて泣いてスッキリはするけどかなり疲れて。
とにかく完了するまでっつったら、まぁめんどくさい。ヘトヘトになる。でも出さないともっとめんどうなことになるからサボるわけにもいかないし。
そんな中で出会ったのが加藤愛-かとうめぐみ-さんの楽曲だった。
自分の気持ちにシンクロする曲がたくさんあって、ムダに検索をすることもなくなった。動画サイトに行って「加藤愛」の動画へ行き、どれかをクリックすれば、はい完了、というお手軽感(加藤さんに失礼な表現)。
その中でもとりわけ同調したのは「くしゃくしゃ」という曲だった。
何度も聴いて何度も泣いた。
そうしているうちに「なんだかわからないもの」が自分の中にたまることが少なくなり、やがてはそれを外に出す作業をすることもなくなった。
一言で云えば、この曲に救われた、のだと思う。
去る9月8日、友人が加藤さんを宮古に呼んでライブを開催した。無論、良かった。
ステージ後の打ち上げで、ライブ本編では演らなかった「くしゃくしゃ」を歌ってくれた。
数カ月ぶりに歌で泣いた。
そのあと笑った。
歌の歌詞と同じだった。
にそ丸「おれね、めぐみさんにありがとう以上の言葉を言いたいけど、なんて言えばいいかわかんないや」
めぐみ「ありがとう以上は『ありがとう』ですよ。こちらこそ『ありがとう』です」
2012年9月7日金曜日
隧道。
かつては大変だった道を、安全に、早く、快適なものにしてくれるトンネル。
なのに比喩で使われる場合は決していいように言われないトンネル。
「トンネルに入ったような」「いつかは抜け出せる」など悪い状態の引き合いに出されるトンネル。
野球において一番恥ずかしいエラーとされ、不振が続くとスランプのトンネルなどとも言われるトンネル。
暗いだの怖いだの臭いだの出るだの言われるトンネル。
トンネルよ、嗚呼トンネルよ。
「人生には上り坂もあれば下り坂もある」だの「真っ直ぐで平坦な道ばかりではなく、時に曲がりくねった道もありー」と表現されるその道を、ストンと楽にしてやったのにねトンネル。
よし決めた。
ぼくは今日からトンネルを良い喩えとして使ってゆこう。
まっすぐな人には「あなたはトンネルのような人だ」と褒め、
性格は曲がっていても話が早い人には「あなたの話はトンネルのようですね」とそやし、
人生クネクネ道にいる人を見つけたら「いつか必ずトンネルが現れますよ」と励まし、
めでたく親となった人には「この子の人生がトンネルであるように」と祈ろう。
願わくはこれを読んだすべての人の前にトンネルがあらんことを。
なのに比喩で使われる場合は決していいように言われないトンネル。
「トンネルに入ったような」「いつかは抜け出せる」など悪い状態の引き合いに出されるトンネル。
野球において一番恥ずかしいエラーとされ、不振が続くとスランプのトンネルなどとも言われるトンネル。
暗いだの怖いだの臭いだの出るだの言われるトンネル。
トンネルよ、嗚呼トンネルよ。
「人生には上り坂もあれば下り坂もある」だの「真っ直ぐで平坦な道ばかりではなく、時に曲がりくねった道もありー」と表現されるその道を、ストンと楽にしてやったのにねトンネル。
よし決めた。
ぼくは今日からトンネルを良い喩えとして使ってゆこう。
まっすぐな人には「あなたはトンネルのような人だ」と褒め、
性格は曲がっていても話が早い人には「あなたの話はトンネルのようですね」とそやし、
人生クネクネ道にいる人を見つけたら「いつか必ずトンネルが現れますよ」と励まし、
めでたく親となった人には「この子の人生がトンネルであるように」と祈ろう。
願わくはこれを読んだすべての人の前にトンネルがあらんことを。
バカとはなんだ!バカとは!!
2012年9月5日水曜日
もやもやの
たまに撮りたくなるのがこんな写真。
「撮る」というより「作る」に近いか。
過去にはこんなのも。
http://nisomaru.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html
絵画でいうなら、カンバスにペンキ缶ごとぶつけたり、筆を振り回して描く感じだろうか。
でもそんなアーティスティックな作品や抽象画は、きちんとした基礎があって、その先で見つける技術や表現なのだろう。
いずれは偶然に頼るのではなく意図して撮れるように、今は基礎をきちんと踏まえてゆかなければなどと思うのだが、やっぱり偶然の産物ってのはおもしろかったりもする。
題「下手の考え休むに似たり」
「撮る」というより「作る」に近いか。
過去にはこんなのも。
http://nisomaru.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html
絵画でいうなら、カンバスにペンキ缶ごとぶつけたり、筆を振り回して描く感じだろうか。
でもそんなアーティスティックな作品や抽象画は、きちんとした基礎があって、その先で見つける技術や表現なのだろう。
いずれは偶然に頼るのではなく意図して撮れるように、今は基礎をきちんと踏まえてゆかなければなどと思うのだが、やっぱり偶然の産物ってのはおもしろかったりもする。
題「下手の考え休むに似たり」
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