2012年8月31日金曜日

飛び込み禁止

「小プール」と呼んでいたが、おかしくないか?


……入りたい。

2012年8月29日水曜日

夏の墓標

夏が逝く
名残の熱は尽きる前の灯火
鳴らない海鳴りは沈黙を守る
泣き疲れた子供の如くに


そんなことを思いながら野グソした。

半年ぶり二度目(2012年)

2012年8月27日月曜日

休日論。

結局ろくな盆休みもないまま2012年の終わりに向かう。
こんな生活を20年も続けていると、休めないこと自体へのストレスはあまりない。
仕事は楽しい。内勤に不満はなく、外回りは好きだ。外回りで出会う人々や場所で新鮮な感動が得られる。そいうことで小さなストレスは発散されているような気もする。

休日そのものの有用性は知っている。
好きなことだけをしていられる一日の気持ちよさは他の何とも比べることができないものだし、翌日からの仕事への姿勢も変わってくるから、やはり休暇は取るべきだ。

自分が乾いていることを感じている。せめてもの潤いにと日々写真を撮り文字を書く。
これは、週に一度の満タン給油はできなくても、毎日1リッターの給油をすることに似ている。
不意に長距離を走った時に息切れするのも自明なのだ。

友人は語った。
「深呼吸という行為が今までの生活でなかった」

あるにこしたことはない休日だが、どう過ごすかが大切なのだ。

たとえ乾いても腐らないように生きよう。


2012年8月25日土曜日

#c668f2

夏から秋へ。
それは青から赤へのグラデーション。
季節をひとつまみしたならきっとこんな色。

冬は白で春は黄です。勝手ながら。


2012年8月24日金曜日

Sweet Memories.


どこの折り詰め弁当だったかは忘れたが、ひたすらに豪華で、やたらとでかく、ちょっとしたおせち料理のようだったという記憶は残っている。そうだ、刺身まで入っていたのだ。だからきっと作りたてを配達してくれたのだろう。
フルーツだけでも巨峰にマスクメロン、オレンジと……といった具合で、しまいにはプリンまで入っていたくらいだ。
特大の焼えびや、脂の旨いステーキに大満足して、残すはデザート。甘いものの後に食べるフルーツは酸っぱく感じがちだから、プリンは後回しにした。
最後にとっておいたプリンだが、惜しい、せっかくここまで完成度の高い折り詰めなのだから、スプーンはつけるべきだったろうに、実に惜しい。
しかして箸で食べることとなったきっと手作りだろうプリン。満を持して口へと運んだ。箸で。
するとどうだろう。たちまちのうちに頭に衝撃が、いや、混乱が襲ってきた。
なんだ?私はなにを食べたのだ?その前にこれは口に入れていいものなのか?
風景がぐにゃりと曲がる感覚の中、プリンの味と自分の記憶を照らし合わせる。
しばらくのマッチング作業の末たどり着いた答え。それは「卵豆腐」であった。
よく見ればカラメルなどかかっていないではないか。形も四角いし。
そもそもいくら豪華な弁当であっても、プリンなど入れるはずはない。
「全く以て思い込みというものは恐ろしいものだ」
そんなふうに自分の愚かさと判断力不足を棚に上げつつ味わった卵豆腐はしっかりと立派な既成品の味がした。

そんなことを思い出しながら食べたサーティワンアイスクリームは、見た目以上に美味しかったのである。

2012年8月23日木曜日

立腹。

どーれ 海でも 撮ろうかねー
なんつって いそいそ 藤の川
暮れてますねー いいですねー
なんつって 三脚セッツ 藤の川
あーいいですよー 寄せる波
どうぞそのまま 藤の川

きがつきゃ かれでだ ふくらはぎ
ひい ふう みい よう いつ むう なな
たった じゅっぷん いただけで
かれだ かれだよ ななかしょも
おもえば くるまに あったのだ
むしよけすぷれー あったのだ

蚊絶滅シロ

2012年8月22日水曜日

道具。

どれだけたくさん持っていても
どれだけいいものであっても
使わなければ意味を成さない
そして使われることを待っている


言葉や思いも同じだよ

2012年8月18日土曜日

三つ子の魂

敬愛する先輩にランチをごちそうになった。その際私のカメラマンとしてのルーツをお話しすることになり、自分としても今までの歩みを振り返る機会となった。今一度ここでも振り返っておこうと思う。

宮古高校時代、合唱部と写真部に在籍していたおふくろは、社会人になってからも写真をを趣味としていたようだが、私が中学に入る頃にはカメラを持つことは減っていたと思う。
そんなおふくろからキヤノンのAE-1をぶんどったのはやはり中学に入って間もない頃だった。優秀なカメラだったが、レンズは50mmの単焦点一本。しかも絞りが1.8の開放で固まったままだった。知識のある人には解ってもらえると思うが、このレンズで日中の写真は撮ることができない。明るすぎるからだ。したがって私が写真を撮るのは決まって夕方以降、もしくは雨の日など光線の少ない日ということになる。それでも変わった被写体を見つけてはシャッターを切り、上がってきたプリントを眺めては悦に入っていたのだ。
いずれ、そんな標準レンズ+開放シバリで私のカメラマン人生が始まったのである。

数年前のblogで私は自らを「黄昏写真家」と呼んでいた。そして現在も夕景を好んで撮っている。しかも常用しているレンズは35mmの単焦点。APS-Cセンサで1.5倍となるため、事実上50mmのレンズということになる。さらには浅い被写界深度が描く前ボケ後ろボケ写真好き。
これは取りも直さず中学時代のままということではないか。これがいいのか悪いのかは解らないが、いずれあの中学時代の気持ちよさを今日までひきずっていることは確かだ。

ランチを食べ終えた先輩が「二三週間使ってみて」と私の目の前に一本のレンズを置いた。
14mmF2.8単焦点。超広角と言われる高級レンズだった。
私は超広角に対して超望遠の何十倍も魅力を感じているが、それはとても手の出せる世界ではなく、憧れることはあっても買おうと思ったことはない。
保護フィルタをつけることができない形状、せり出した前玉がひたすら恐ろしいが、大切に扱うことを約束し、先輩の行為に甘えることにした。

一枚目は友人を撮ったが、それは私と友人だけでしまっておくことにした。広角ならではのデフォルメは想像以上の破壊力だったからだ。
その足で風景をさがしてまわった。パースペクティブとデフォルメを切り取りたくて。

なかなかいい題材を見つけられずにいたが、まわりが夕焼けに変わるころホテルの屋上でこの景色に出会うことができた。
煙突的には日の丸構図だが、14mmを思えば寄せなくて正解だったと思う。
f/22-10秒-ISO100だが、おそらくf/16くらいのほうが空の色のためにはよかったかもしれない。そして、フルサイズだったなら、と思わずにいられなかった。

しばらくの間、この新しい世界におぼれられることが幸せである。
齋藤祐一先生、ありがとうございました。

以上、いつにも増して超マニアックな話題でした。

東の空、夕立の声

 ───やっぱり考えは変わらないの?
今日二度目の問いかけにも君は答えてくれなかった。
こういうとき女性はさっぱりしているもので、だらだらと未練がましいのはいつだって男のほうと決まっている。

僕たちは今日、別れる。

最後のデートを提案したのは彼女。曰く僕のためなそうだ。
待ち合わせに指定された店は、僕が来たことのないイタリアンレストラン。昼下がりだがテーブルはすべて埋まっていて、店内は陽気な話し声で賑やかだった。見たことのない夏色のワンピースを着た君が慣れた様子で二人分の料理を注文をした。
所在なく俯いていると、彼女は僕にワイングラスをつき出してきた。
 「ほら、乾杯しよ」
これから別れるというのに、なにに乾杯すればいいのだろうか。そんな僕の気持ちが聞こえたのか、
 「あなたの明るい未来に」
と君は屈託のない笑顔を作り、グラスは澄んだ音色を奏でた。

次々と運ばれてくる料理は綺麗だったし、彼女の話声は終始明るかった。でも何を食べたのか、何を話したのか、あまりわからなかった。わかったのはこの一年楽しかったらしいこと、でも二人は一緒にいないほうがお互いのためらしく、それは決まったことだということ。そして、夏の恋は夏に終るものらしいこと。
それと、酒に弱い彼女が飲み過ぎると足腰が立たなくなることも今日知ったことだった。


夕方前だというのに足元がおぼつかない女性を抱えた僕は、道行く人の視線を一手に引き受け、汗だくでようやく川沿いのベンチにたどり着いた。慎重に彼女を座らせたあと自販機で水を買って戻った僕。ぐったりしている彼女の手にペットボトルを握らせた。
 「あじがど」
下を向いたまま見事な鼻声で彼女が言った。
僕は喉の奥が痛かった。

なにか言いたいけれど、言葉は出かかりもしなかった。聞こえるのは左側の小さな泣き声とハナをすする音だけ。自分の中の声は聞こえなかった。

いつの間にか鳴き出していた秋の虫に気づいた時、川はオレンジ色に輝いていた。そしてふたりに雨が落ちてきた。見る間に見事な夕立となった雨は虫の声も君の泣き声もかき消し、やがて僕の涙を呼んだ。

ふたり肩を揺らし泣いた。声を出して、子供のように。
涙も鼻水も夏の汗までも雨と混じってズボンにワンピースに落ち、やがて地面に吸い込まれてゆく。

ひとしきり泣いた僕らを洗い終わったころ、夕立はピタリと止んだ。
ますますオレンジ色を濃くした川。

すっかり濡れた髪を後ろに流した彼女はスッと立ち上がり僕の前に立った。
 「じゃね」
差し出された右手にどうしたものかと思案していると、君は不意にあっ、と声を上げた。
 「見て」
彼女の右手から顔を上げ、視線の先を追って振り返ると、そこには虹があった。
 「夕方にも虹が出るんだねー」
僕もベンチから立ち上がり、黄昏の虹を眺めた。
 「あなたと最後に見たのが、綺麗なものでよかった」
後ろから聞こえた声にまた喉の奥が痛くなり、僕は下を向いた。
ふたつの影が並んでいた。ベンチの背もたれに映る影は手をつないでいる。
 ───やっぱり考えは変わらないの?
僕の口から出ることはなかった問いかけに君が答えるはずもなかった。
やがてひとつの影が手を振り、遠ざかって行った。
思い出したように再び恋人探しを始めた虫の声が遠くに聞こえた。

夏の終わりに。

ニソップ物語 6
「東の空、夕立の声」

2012年8月18日


2012年8月16日木曜日

「フラッペ」ってなんだよ。

数日前に「好きだからこそ」で書いた。
どうあっても、やっぱり、確実に、往く夏が切ない。
ちとキモいが、胸がギュウギュウな日々である。

どんなに仕事がうまく運んでも、
いっぱい笑える楽しい時間を過ごしても、
夜になると切なくなる。

なにかやり残したことがあるような焦燥感に胸が締め付けられる。
例えるなら、思いを伝えられないまま転校していったあの子を見送るようなそんな気持ち(そんな体験はないが)。

もっと話をしておけばよかったと後悔することは知っている。
それでもいつだって話したいことも話せないまま見送るだけ。
そしてそれはやがて思い出になり、思い出は美しさを増して積もってゆく。
たとえ思い出と呼べるほどの鮮やかさはなくても、
切なさとしてしっかりと刻まれる往く夏。
フラッペ結ばれることのない恋。
そんな安い言葉ですらも胸を震わせる、そんな季節なのだ。


でもかき氷は苦手です。

2012年8月15日水曜日

仲間。

仲間を写真に収めました
同じ志を持つ大切な仲間です
ぼくには撮れない写真を彼は撮ります
ぼくには見えないものが見えているのだと思います


ぼくが撮ったこの写真には愛があります
信頼をし尊敬もしている彼を撮った写真です
普段あまり写真に登場しない彼ですが
この写真以上に彼らしさを写しこんだ写真をぼくは知りません

ぼくは四十を越えたおちゃらけたおじさんですが
今日はまじめに書いています


信頼と尊敬、そして愛
この三つを以って"仲間"
ぼくはそう思っています


同意は求めません。
ぼくは、ぼくですから。

2012年8月14日火曜日

正しいか。
嘘はないか。
醜くはないか。



美しいことは難しいが、醜く生きたくはない。

好きだからこそ

他県ナンバーぬるい海
松の匂い花火の煙
都会の言葉老けた旧友
ひぐらしの声しおれた朝顔
盆の入りは夏の終わり

ひと月前よりも確実に早くなっている夕暮れを認めたくないがゆえに目を開き空を仰ぐ。
つうと飛ぶ赤とんぼの奥にある高さを増した紅い空。

ゆく夏が切ない。

探すフォルダに夕景なし。

2012年8月12日日曜日

What a Wonderful World.

白い半紙と黒い墨。
ほとんどの光を反射する白とほとんどの光を吸収する黒。
書に於いて黒い墨を吸収するのは白い半紙だという事実。
そして二階調ではないという真実。


濃淡のある人生を。

2012年8月11日土曜日

風が吹いていない。

宇宙最強決定戦ももう終わりですね。
メダル数は立派なもんだけど、どうもスッキリしないと感じているのは私だけだろうか。
やっぱり金獲ってこそなんだよな。流行語大賞の候補も今のところ無いし。
このままもやもやのまま終わるんだろな。
まぁ観てるだけなんですがね。

2012年8月10日金曜日

雑食カメラマン

写真ですか。ええ、好きです。まぁなんでも撮りますねぇ。
あー、そうですね。たしかにイベントのスナップは多いっすね。なぜか出掛けた先でイベントやってるんですよー、というのはウソですけど、なんだろ?仕事柄もあってイベントあたりをウロウロしてるせいかも知れませんね。
んーどうだろ。風景ねー。自然とかってことでしょ?嫌いじゃないんだけど、撮ったからナニ?みたいな感じがあるんですよね、カレンダー的な風景は。
ちょっとうまい言葉が出てきませんけど、こう、アートっぽいのが好みですかねぇ。人でも物でも風景でも構わないんですけどね、なんかいいよねー、いいですねー、って感じの写真。
でしょ、わからんでしょ。私もわかんないですもん。わかんないまま撮っていきますよ、ええ、これからもね。

こんなのですかねぇ。わかんないけど。

2012年8月9日木曜日

他人は他人。

僕は僕だ。
人の話を聴くこと、人に合わせようとすることも含めて、僕なのだ。
それはふらふらと揺れることではない。
聴きながら、合わせながら、否定し、拒否し、捨ててもいる。
それは揺るぎなく、変わらずに、一貫している。
これまでの時間をそうして生きてきたように、これからもそうして生きてゆく。
あなたの話は聴くけれど、言うことは聞かない。
僕は僕だ。


君と僕がしている競技が一緒だなんて誰が言ったんだい?










2012年8月3日金曜日

プラス思考とマイナス思考

私は常時極端なプラス思考であり、常時極端なマイナス思考である。
当然のことながらプラスマイナスゼロってワケにはいかない。
なぜだろう。

そもそもなぜ「プラス」と「マイナス」なのか。
アド思考でもサブトラクト思考でもなくて、あくまでプラス思考とマイナス思考という。
なるほど思考は計算ではないということか。
計算でないのならばプラスマイナスゼロになるはずもないのだな。
ところでディバイド思考やマルチプライ思考はおらんのか。イコール思考はいそうだが。

などと思考しつつ呆けていた信号待ち。
ふと右に目を遣るとこんな看板が。


ブログネタが見つかるときってだいたいこんなもんだな。




わからないのは恐怖だ。

2012年8月2日木曜日

8月の色

30年も前のことだ。
体育が不得意だった少年時代のぼくは夏のプールも嫌いだった。
意地悪なほど冷たい水は、フェンスからはみ出しているヨモギの色とさして変わらず、泳ぐのは朽木色のミズカマキリだけでいいと思っていた。

そのくせプールの時間はいつだってあっという間に過ぎていた。
紺色の水着と対照的な白い手足。パァッっと息つぎをする朱い口。
跳ねる水は澄んでいた。

手をかざして見上げる夏空は青くて切ない。
動かなかった夏の恋は、今も青いままで空にある。