2012年4月27日金曜日

ここから海


 この街の花火大会は河川敷ではなく海でやる。普段は釣りをする人がちらほらいるだけの岸壁なのに、毎年この日だけはすごい人でごったがえす。
 出店も──テキ屋っていうのかな。ざっと三十軒は並んでいる。日はほとんど沈んでいるけれど、この一帯だけはそれぞれのテキ屋が吊るしているハダカ電球のせいで明るい。

 花火大会の開始まであと二十五分。会場は家族連れや中高生の友達グループ風な集団、あとはカップルなんかで相当賑わっている上に、それぞれのテキ屋が使っている発電機の騒音が、さらに人々の声を大きくさせている。

 これがこの街の夏の風景なんだよなー、と少しだけ懐かしい気持ちでテキ屋群を見渡した。定番のかき氷や金魚すくい、珍しいところでコンピューター手相占いというのもある。ダンボールに手書きで書かれた「チャレンヅボール」には笑ってしまった。焼きそばの店には二十人くらいの行列。焼きそばなんて、別に珍しくもないし、食べようと思えばいつでも食べられるのに、なんで並んでまで食べたいのだろうと思う。

 「ねね、焼きそば食べよっか」
 カラフルな水玉模様が描かれた黒いヨーヨーを右手に、左手で半分も食べていないリンゴ飴を持て余している「友達」が、ハダカ電球を映したキラキラ瞳でオレを見上げてきた。
 自分の中で焼きそばに対するダメ出しが終わったばかりなので、いくらキラキラビームを発射されたところで「そうだね」とはならない。行列に並ぶのはやっぱりめんどくさいし、すぐ二件となりには、誰も並んでいないお好み焼き屋もある。それを教えてあげようとしたところ、キラキラビームと一緒に、小首をかしげての「半分こしよ」を発動させた。
 気がつけば行列に並んでいたオレだが、これはいわゆる「負けるが勝ち」なのだと自分に言い聞かせた。

 「にーしーろーはーとっ」
 ごきげんな「友達」は、ひょいっと背伸びして、リンゴ飴を魔法少女ステッキのように振りながら、オレたちの前に並ぶ人の数を数え始めた。
 白地に涼しげな水色の波紋。波紋の主は赤い金魚。浴衣のことなんかよくわかんないけど、似合っているとは思う。そういえばこんな間近で同級生の浴衣を見たことなんて今までなかった。
 「21人だねっ。あたしたちは22人目だよ」
 22人目のなにがそんなに嬉しいのか分からないが、ぴょんぴょん跳ねてカッコカッコと下駄を鳴らした。
 さっきこの浴衣が似合っていると思ったのは、コイツもどこか金魚のようだからなのかもしれない。

 「ねーねー、学校うまくいってる? てか陸上続けてるんでしょ? よく帰ってこれたよね。あたしだって明後日から部活なのに。いつまでコッチにいるの? ちゃんと課題やってるんでしょうね。授業はついていけてる? すっごい心配なんだから。そういえばお父さん元気? ちょっとかっこいいよね、あんたのお父さんて。あー、また背伸びたんじゃない? 列進まないね」
 またもやのキラキラビームと一緒にぶつけられた一方的すぎる質問の数々を頭で反芻しつつ答えを探していると、「友達」は突然カクンと下を向いて声のトーンを落とした。

 「メールでは言ってなかったけどさぁ、あたしね──、えっと、吹奏楽部じゃん? でさ、いっこ上の先輩からね──」

 なんだなんだ。

 「──コクられたんだ」

 先に投げかけられていた質問群の答えもまとまっていないのに、なに? なんかあんまり楽しいことじゃないことを言われた気がする。
 「ユーホニウムやってて、わりとみんなから慕われてる感じ。かっこいいよねーとかって言ってる友達もいるんだー」
 いつのまにか紫色の帯にぶら下げられていたカラフル水玉黒ヨーヨーが小さく揺れた。

 「でもね、あたし、ごめんなさいしたんだ」
 そう言って髪に泳ぐ革の赤出目金かんざしが落ちるんじゃないかと思うほどの勢いでオレの顔を見上げた。
 行列に並ぶまでの表情とはちょっと違う、少し眉尻を下げたその笑顔に、なんだか息苦しくなった。

 後ろに並ぶおばさんに言われて前を見たら、行列はもうずっと先に進んでいた。後ろにすみませんと頭を下げ、ふたりして小走りした。
自分で分かるくらい顔が赤かったけど、「友達」の耳も金魚のように赤かった。


 屋台群から離れると普通に暗い夏の夜になった。人の数は普通じゃないけれど。
 「ここから海」と大きく書かれた幅二メートルほどの看板というか標識が、腰を掛けるのに丁度いい高さの土台に立てられている。そのコンクリートの土台が空いていたので、ふたりでそこに座り「ここから海」に寄りかかった。
 「あー、恥ずかしかった! ちゃんと前見ててよねーもー」
 なるほど、自分は下を向いていたから、前を見るのはオレの役目だったというわけだ。
 「罰として、このリンゴ飴を食べなさい」
 焼きそばはその後です。と、半分ほどになった食べかけのリンゴ飴とおあずけの刑をオレに寄こし、自分は「おーいーしーそー」と焼きそばパックを開けた。

 残酷な裁判長は、作りたての焼きそばをはむはむと食べながら、びっくりした? と尋ねてきた。
 オレは結構厚く案外固い飴に苦戦しながら、まさかあんな一気に列が進むととはね、と答えた。
 「そーじゃなくてさー、んー」
 質問の本当の意図は分かってるさ。
 ああ、びっくりしたよ。もちろんそのこと自体にもぎょっとしたし、友達ってものの定義を考え直さなきゃって思った。なんて口には出さなかった。あと、もっとびっくりしたことと、分かったこともあったな。

 「てゆーかさー、あんたってほんっと無口よね、っつか口下手。相変わらずよね。男友達と遊んでる時はそうでもないけどさ、今日だって久々に会ったってゆーのに、んーとかそうだねーとかしか言ってなくない? メールだってそうじゃん。あたしが五回書いて、返事が一回くればいいほうだし。ま、あたしも勝手に書いてるだけだけどさぁ」
 オレは無くなりかけている焼きそばを見ながら、ごめんと答えた。
 固くて甘いだけだった飴ゾーンの次は、やたらと酸っぱいリンゴが待っていた。この刑罰はなかなかのものだよ、裁判長。

 「にしても短いよね、あんたのメール。そんなんじゃ彼女ができても──」
 突然目の前の浴衣がピンク色に染まり、一拍遅れて轟音が響いた。
 オレたちは自然と同じ方向を見た。どよめく会場には拍手の音も聞こえる。
 くねくねの尾に遅れを取ってひゅーという長い音が続く。
 黒い空の奥から湧き出すように広がる水色の粒。広がりきる前に響く爆発音。粒はその色をオレンジに変え、さらに大きく広がった。
 質問を打ち切った大きな花火は、さらに次の花火を呼んだ。まるで、話題を変えなさいと言っているかのように。


 「夏だねー」
 次々と打ち上げられる花火を見上げたまま「友達」がしみじみと言った。腹に響く音に負けないようにボリュームを上げ、でも普段より少し落としたその声色は、去年までの中学生のものではなく、数カ月だけど「友達」が大人に近づいたことを感じさせた。
 そっと「友達」を見る。空に合わせて色が変わる横顔。長い睫毛の影が頬を移動する。よく見ればうっすらと化粧もしている。花火の音が胸を震わせた。
 「なに飲む? 喉乾いちゃった。焼きそば全部食べちゃったからジュースくらいおごるわ。あー、あんたはこの席キープしてて。コーラでいいよね」
 なんの返事も待たずカッカッカッカッと駈け出していった。落ち着きのなさは変わっていない。やっぱり数ヶ月じゃ大人にならないか。ひとり笑った。

 おごられたのはコーラではなく、いちごミルクのかき氷だったが、これが夏気分をさらに盛り上げてくれた。
 今年の花火大会の派手な連発は例年よりも盛大で、なんだか気合が入っている。スマイルマークやハートマークも織り交ぜた変わり種の花火が空の高いところで広がっているかと思えば、黒い影にしか見えない人垣の向こうでも同時に何十個もの花火が打ち上げられていた。
 きっと岸壁の先の方に行ったならもっと感動的だろうと、その後何度か移動を提案したけれど、その度に「ヤダ」と短い断りがあるだけだった。

 最初の打ち上げから三十分程経っただろうか。豪勢な連発の残響を耳と体に感じる静寂に、そろそろ終わりかなという雰囲気が漂った。海に背中を向けて歩き出す人も結構いる。
 「すごかったねー。楽しかったー」
 コンクリートの土台に座り、つま先で下駄をプラプラと揺らしながら、満足気な表情でオレの顔を見上げてきた。
 「来年も──」
 「友達」が言いかけた言葉はひときわ明るい閃光に消された。
 生まれてからこれまで見たこともない大きな花が夜空に咲いていた。
 一拍遅れて響く、低くて大きな音は、これまでのどれとも違う、重い空気の壁を思わせた。
 ただ呆気にとられ、見上げる空に、また一つ。
 濃紺の小さい光が、どこまでも大きく、広く拡がってゆく。どこまで拡がるのか不安になるほどの大きな花に、自然と体がのけぞった。
 不意に左手の甲に別の手を感じた。
 顔は空を見上げたまま、手を組み替えた。
 互いの指の間に指を滑らせ、ぎゅっと握った。
 驚くほど細い指はどこまでもやわらかだった。
 オレンジの小さな花がどこまでも膨らみながら緑色、さらにコバルトブルーへと変わり、視界の全てを埋め尽くした。
 分厚い音の壁がふたりにぶつかってきた。

 「たーまやー!」
 オレとつないだままの手を自分の口元に引き寄せ「友達」が叫んだ。
 オレもつないだままの手を自分の口に引っぱり寄せて叫んだ。
 「たーまやー!」


              * 


 故郷での短い夏休みを終え、また北海道での生活が始まった。朝の八時から夜の八時まで、文字通り、部活に明け暮れる毎日を送っている。

 「また明日な」
 仲間に軽く手を挙げ自転車を走らせた。見上げれば星のない空があった。
 夏の終わりの匂いがする帰り路の土手に自転車を停め、あの花火を思い出した。

 花火とともに、友達が終わった夏の夜。


 ふたり叫んだ「たーまやー!」のあと、会場は最後を飾るにふさわしい超ウルトラ大連発というべきフィナーレを迎えた。帰りかけた市民もまた足を止め、振り返り、往く夏に喝采を送っていた。
 すっかり「たーまやー!」が気持よくなっていたオレたちはまだ叫び足りてなかったけど、超スーパーウルトラ大連発に掛け声は合わないというか、タイミングが掴めなかったりして、結局それからは一度も叫ぶことができなかった。それがなんだか可笑しくて二人顔を見合わせ、そっと笑った。

 思い出されることは、もうひとつ。

 「──コクられたんだ」
 あの時本当にびっくりしたのは、アイツがコクられたことじゃなく、それを聞いた時の自分の狼狽。
 全身の血という血が、体温と一緒に足の裏から全部抜けていったような感じがした。二度と味わいたくはない異様な寒さだった。
 これって、今までのどんな友達にも感じたことがなかったこと。言ってみれば、特別なこと。
 だから分かった。アイツはオレにとって「友達」なんかじゃない、って。

 そしてあの大フィナーレの大連発──
 観衆の誰もが、空だけではなく海にまでも拡がる光の乱舞に目を奪われ、大音響と歓声で満たされた夜風の中、「ここから海」の標識がオレたちを隠してくれたんだ。


 あれからほとんど毎日メールが届くが、五通のうち一通には「ケイゴ!返信よこしなさーい!」とか「ケイゴへ。返信のやり方はおぼえましたか」などと書いてくる。アイツの顔が思い浮かんで楽しくなる。
 正直メールはめんどくさい。がんばって書いて送っても、三十秒後には「みじかーい!」と返信が来る。
 しかたがないので、オレは今日も電話をする。
 口下手だけど、アイツはそれを怒らない。

 コール音も鳴らないうちに声が聞こえた。
 「メールめんどかったんでしょ」
 苦笑しながら見上げた月にコッコの指を思った。







ニソップ物語 2
「ここから海」

工藤歩 著
2012年4月27日

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