2012年11月15日木曜日

流れ。

今年は仙人峠を経由して遠野へ秋を観に行こうと計画していた。
結局それも叶わないまま11月も折り返しを過ぎ、気がつけば晩秋。
まさに「気がつけば」という表現がぴったりだ。

時間の流れは普遍。
自分が走っていても止まっていても、時間だけは等速で進み続ける。

浅い川の中に立つことを想像する。
下流を見るように、上流に背を向けて川の中に立つ。
前方へと流れて行く足元の水と、立ち止まった自分との相対的な速度は早い。
水の流れに置いてきぼりにされている状態だ。

今度はこの浅い川を下流に向かって走ってみる。水の流れと自分との速度の差は、立ち止まっている時と比べて小さくなり、つまりは相対的にゆっくり流れている状態となる。
しかしこれは自分主観の速度であり、実際の水の流れる速度は変わっていない。あくまでも、体感。

一方、時間の流れはどうだろうか。
日々に「追い立てられ」ているような、いわゆる「走っている時」には、あっという間に時間が過ぎているように感じるものだ。
これは川の流れとは真逆の感覚といえるが、立ち止まっているときに感じる「置いていかれる」ような感覚は川の流れと同等だ。

同じ「流れ」ではあるが、川と時の流れは同じではない。
川は川でしかないが、時は時単体で流れているのではなく、周りの風景も一緒に流す。

日々に追われるということは、時の流れに背中を押されているということ。
言い換えるなら、船。
船と時の流れの速度差が相対的に小さくても、風景を見渡せば自分の速度がいかなるものか解る。
これは、時間が止まらない以上、立ち止まることはできないということでもある。

流れに乗ると感じるか、流されていると感じるか。
どちらにしても、「流れ」を意識しなければ感じることはできない。

「気がつけば」。なるべくなら使いたくないものだ。


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